2017年9月1日 ブックレット「初歩から分かる総合区・特別区・合区」の出版記念講演会。第2回法定協議会で示された「総合区素案」を専門家が分析

 大阪市を廃止して特別区に分割するのか、それとも総合区を導入するのか――。大阪府と大阪市の共同部署「副首都推進局」では、特別区案と総合区案の双方の制度設計が進められています。政治的な思惑が絡み合った結果であり、全くの市民不在。そんな中、大阪自治体問題研究所がブックレット「初歩から分かる総合区・特別区・合区」を緊急出版しました。9月1日、大阪市中央区で出版記念講演会があり、筆者の冨田宏治・関西学院大教授、梶哲教・大阪学院大准教授、森裕之・立命館大学教授が、それぞれの専門分野から現在の事態を分析しました。また、山中智子・大阪市議(共産)からは「大阪市は特別区と総合区といったいどっちになるのか、どっちにもならないのか?」という根本的な疑問について、説明がありました。
 以下、講演会の内容を掲載しています。

■冨田宏治・関西学院大教授(政治学)
<都構想をめぐる問題の本質>
 維新政治とは不寛容なポピュリズムがもたらした市民の分断を特徴としています。それに対して、こちらは寛容とリスペクトの「オール大阪」で対峙していくしかない。それがまず1点目です。次は、初めはポピュリズムと性格づけるべき政治勢力だった維新が6年、7年経って、驚くべき組織政党に変貌しているということです。組織に対しては組織で立ち向かっていくしかないというのが2点目です。3番目は「では維新って何をやっていたのか、なぜまた今、大阪都構想なのか」について言うと、維新は新自由主義的、市場原理主義的な改革によって、ほんとにここまで見事に失敗するかという絵に描いたような失敗で、大阪府の財政は毎年2000億円ずつぐらい借金を膨らませる構造になってしまった。一昨年、住民投票で否決をした大阪都構想の「特別区設置協定書」を読み解いていくと、ちょうど2000億円の税金が大阪市から大阪府に吸い上げられる仕組みになっているんです。たぶん、彼ら(維新)がやりたいのはそこなんじゃないか。自分たちが空けた大穴で毎年2000億円のお金が足りない。だから豊かな大阪市から毎年2000億円ずつぐらい吸い上げる手立てはないかと。「それは大阪都構想以外にない」という話なんじゃないかと思います。

不寛容なポピュリズムに対峙するのは寛容とリスペクト

 トランプ大統領が就任してしばらくの間、既視感にとらわれました。トランプ大統領が出てきて途方もないことをやり始めて、最初からメディアと大喧嘩する姿を見ながら世界中が「何だこれは、えらいことになったな」と思って見ていたわけですが、僕ら8年前に大阪で同じことを見ているのであまり驚かなかった。本質的に世界同時現象、平行して起こっている現象で、ある意味、先取りする形で私たちは大阪で「橋下徹」という稀代のポピュリストを通じて経験させてもらった。いい経験だったのか、高い授業料を払ったのか、いろいろあると思いますが、世界的な政治の流れの一コマだったということです。
 ブレグジット、トランプ大統領、安倍首相、ルペンだとかいますけれども、共通しているのはまさに「不寛容」という言葉です。不寛容とは「自分たちとは違う」ということを暴き立てて、これを過大に取り上げて、それを叩いて、「違う」ことを強調して、そこに憎悪や排斥の攻撃を向ける。それによって国民を市民を分断する。その分断の中で支持を得ていく、分断の政治なわけです。考えてみると、大阪はこの8年、2年前の住民投票も含めて、この大阪市内にとてつもない深い分断がもたらされた。その分断は勝手にできたのではなく、敢えて分断して、違いをことさらに煽り立てて、それを叩く、攻撃する、それによって喝采を浴びる、そういうタイプの政治が行われて分断をもたらしたんです。今、アメリカはまさにその分断に苦しんでいるわけです。白人至上主義を認めるのか認めないのかで、アメリカ社会そのものが非常に深い分断にさらされています。
 そういう分断をもたらす政治を「不寛容のポピュリズム」と言いますが、それに我々は何を対峙していくのかというと、「寛容」と「リスペクト」です。お互いの違いを違いとして認め合って、尊重して、違いを超えて手を結んでいく、そういう政治によって対峙していくしかない。これは世界的に起こっていることであって、それを象徴したのがアメリカではサンダース、イギリスではジェレミー・コービンだったわけです。日本で言えば共産党の大会に全野党がそろっています。今までいろいろな意味で対立、確執があった政党各党が小沢一郎さんまで入って、手をつないでいるというのがまさに寛容とリスペクトです。大阪は寛容と不寛容の戦いの最前線にいたわけです。オール大阪の側は寛容の政治を大阪で展開することで、あの2年前の住民投票でひとまず決着をつけたということになるわけです。そういう世界的な共通の現象だと踏まえながら、その性格をとらえておくことが大事だと思います。

格差と貧困がポピュリズムの土壌となる

 では、なぜそんなことが起きたのかと言うと、この20年ぐらいの間に世界が途方もなくいびつになっていることが挙げられます。シンボリックな数字ですが、「世界の8人の富豪が持っている総資産が、世界の下位の36億7500万人の持っている資産を上回っている」んです。8人ですよ。ビルゲイツとかザッカーバーグだとかそういう人が入っている。日本も実はそういう社会になってきています。日本はそれほど格差社会じゃないだろうってみんな勝手に思い込んでいるんですが、日本は上位40人、三木谷さんとか柳井さんだとかそういう40人の資産が、下位50%の世帯が持っている総資産を上回っているわけです。やっぱり世界全体と同じ構造になっているんです。アメリカは1%の資産が下位90%の資産を超えるというとてつもない格差と貧困が広がってしまっている。
 大阪はとりわけグローバリゼーションと市場原理主義の中で、東京一極集中のあおりを受けて、一番傷んでいるというか、かつての大阪の日本経済の中心としての輝きを一気に失ったどころか、大阪経済そのもの、大阪の経済にかかわっている人々の気持ちも含めて、非常に落ち込んでしまっている。そういうことが背景にあるんだろうと思います。巨大な格差と貧困、それをもたらした新自由主義、そうしたものが背景にあるということをみておく必要があります。
 その中で何が起こっているかと言うと、少しましな暮らしをしている中間層と言うべき人たち、大阪で言えば高層タワーマンションに住んでいるような勝ち組サラリーマン層ですけれども、彼らは実は激しいグローバル競争にさらされているんです。ちょっと失敗したらタワーマンション生活から転落する。大阪ってタワーマンションのちょっとましな暮らしと、その下の地べたに広がる貧乏人と年寄りの暮らしが明確な落差を持って展開している街です。そのコントラストが都島で話題になったんですが、高層タワーマンションの下水処理能力にインフラが追い付いていないので、ちょっと雨が降るとタワーマンションの下水の圧力で地べたに住んでいる人のトイレが噴出するんですよ。すごい格差社会です。都島で、ですよ。無計画にカネボウの跡地にタワーマンションが林立して、その周辺の地べたの人たちの家でトイレが逆噴射するという街ができている。
 もともとの貧乏人や年寄りはそんなこと(格差)でじたばたしないんだけど、(下に)落ちるかもしれない、落ちたらどうしようと思っている人たちが、自分たちの不満とか不安定さのはけ口を求めるんです。それがポピュリズム的な政治を生み出している。本当の敵は新自由主義であり、グローバル化なんだけど、そこには向かないで、叩きやすい相手を捕まえて、そこに攻撃を集中するという形で「ヘイト」が語られる。そして排斥、差別、憎悪が向けられていくことになります。
 叩きやすい相手が大阪では誰だったかというと、公務員労組だったわけです。なぜ公務員労組だったのかは考えなきゃいけないポイントになります。ヘイトの対象を公務員労組に向けるその気持ちはどういう気持ちかというと、自分たちだけが税金を払っている、その税金が公務員によって無駄遣いされると。あいつら俺たちの税金でいい暮らししやがって、しかも俺たちは日々、残業、残業、過労死寸前まで追い詰められているのに、公務員は午後5時に上がって、それどころか9時5時の勤務時間に組合活動までしている、許しがたい、俺たちの税金を公務員がシロアリのように食いつぶしている、とそういう感覚ですね。「自分たちだけ」が税金を払っていて、地べたに住んでいる年寄りや貧乏人は税金を払うどころか、税金によって恩恵だけ受けていやがる、何なんだ、何で俺たちの税金があんなやつらのために使われなきゃならないんだという、言ってみれば「被害妄想的な重税感」ですね。これが「身を切る改革」とか「公務員の人件費を減らせ」とか「バスの運転手が700万も取っているとは何事か」とかいう変なヘイトにつながっていく。
 そういう政治に対して、寛容とリスペクトの政治が対峙されてきて、大阪もその一局面を形成してきたし、ある意味、先頭を切ってその対決が展開してきた。基本的にリスペクトの側が(大阪都構想の)住民投票で勝ったわけですが、分断の政治なので住民投票をやることで分断が深まり、深まった分断をてこにして「勝つまでジャンケン」という話になっていく。それが今の第2局面、都構想再チャレンジという話につながっているということになります。

ポピュリズムで始まった維新は強固な組織政党へ

 なぜ(大阪都構想の)住民投票で勝てたのかと言うと、(2015年は)統一地方選で出た(大阪市内の)票が約100万票、(大阪府知事と大阪市長の)W選挙が100万票、その間の住民投票だけが140万票。普段は選挙を棄権している40万人が住民投票では投票に来てくれた。これに尽きるわけです。なぜこういうことができたのか。そしてW選挙ではなぜそうならなかったのか。それについては深刻に議論しながら、また住民投票になった時は、140万人が投票に来てくれる状況を再現できて決着がつけられる政治ができるかどうかにかかっているということだと思います。
 維新の支持層って都市伝説的に閉塞感を持った若者層だという誤解が広がっていましたが、住民投票で分かったのは、タワーマンションに住んでいるようなちょっとましな暮らしをしながら「転落」の不安にさいなまれ、税金を食いつぶしている人たちがいるという考えを持った人たちがコアであって、10代、20代の若者はちょっと風に煽られているが、それが本質ではない、ということでした。
 維新のヘイトの極めつけの事例を紹介しておきます。(フリーアナウンサーの)長谷川豊という男です。彼は「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担させよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」と言いました。これはさすがにメディアの総スカンを食らって彼はすべてのテレビの出演を外されて、どうなったかと言うと今、千葉1区から維新の公認候補者として次の総選挙に出ることになっています。これが維新の本質です。人工透析患者なんて我々の税金をやつらが食いつぶしている、許せない、そんなやつらは殺せ。これがヘイトの極みです。
 維新改革というのは、医療や福祉や教育にどんどんメスを入れて、重税感にさいなまれている人たちの喝采を集めてきたわけです。彼らはいろんな操作をして、自分たちの政治がどんな結末を迎えているかをなかなか明らかにしないのですが、いろんなデータを見ると、はっきりしているのは、だいたい7年間、この間のW選挙までの7年間でだいたい1550億円ぐらいの歳出削減をしたと言っているわけです。歳出削減によって、財政再建できたのかと言うと、大阪府の税収はどんどん減って、2007年には1兆4260億円あった府の税収が、2014年には1兆2021億円に減っている。年200億円ぐらいずつ歳出を削っているのに、なぜ税収が2000億円も減ってしまうのか。大阪府の借金は膨れ上がって、6000億円ぐらい借金を増やしている。(7年間で)1550億円削りました。その結果、借金を6000億円増やしました。なぜかと言うと、税収が年2000億円も減ってしまっているからです。大阪府民の暮らし、福祉、教育、中小企業に対する補助、そういった重要な暮らしを支える支出を大幅に削ったので、大阪経済そのものが一気に沈下をして、購買力が落ちて景気が悪くなって、税金を払えなくなったんです。これは絵に描いたような新自由主義改革の失敗例。これほど見事な失敗例はありません。その行き詰まりを打開するのが、カジノ、大阪都構想ということになります。大穴を空けた2千数百億円を大阪市から吸い上げるのが大阪都構想の仕組みだということが分かります。
 もともと維新は不寛容なポピュリズムとして始まりました。でも橋下徹というポピュリストを我々は住民投票に勝利することで政界引退に追い込みました。ポピュリストとの戦いは寛容とリスペクトの政治の側が勝利を収めたわけです。今、「橋下なき維新」ですが、この数年の間にとてつもない組織勢力になったということを忘れてはいけない。自分たちが依存していた支持層を組織に変えた。その証拠が(2016年7月の)参院選挙です。140万票を綺麗に二つに割ったんです(※浅田均73万票、高木かおり67万票)。この芸当をなぜできたのか、公明党や共産党や組織政党として有名な政党でも、こんな芸当はたぶんできない。しかも高木かおりって人は直前まで自民党の堺市議だったんです。ぽっと出の無名の人に、維新の創立メンバーである浅田均とほぼ同じだけの票を出せたということは、ちゃんとどっちかに入れてくれって一人一人に指示を出しているとしか考えられない。
 報道によると、(維新の議員は)1日600本電話する力を持っている。百数十人の議員が、1日600本電話をかけるってことは、1日8万本の電話がかかってるんです。みなさんの所に電話がないってことは、電話をかける対象になっていないということです。では誰に電話をかけているのか。自分たちが電話をかけるべき名簿が140万人以上あるってことです。だから「高木さんに入れてね」「浅田さんに入れてね」という指示ができた。そして電話を受けた人はその指示通りに入れているってことです。もう維新は「風」とかではない。非常に強固な組織政党、百数十人の選挙のプロ集団によって構成されている組織になっているんだということです。
我々はそれに対して組織的な力を持てているのだろうか、それを問題提起して終わりたいと思います。

■梶哲教・大阪学院大准教授(行政法)
<特別区・総合区とは何か>

 大阪都構想は特別区を導入する構想です。注意をしなくてはならないのは、制度設計はいろいろな作り方があります。(2015年5月の)住民投票の対象になったものは、大阪市の区域内に五つの特別区を作る都構想でありました。これは否決されたのですが、都構想の制度設計はそれだけではありません。もともと「維新の会」やその周辺で唱えられていた大阪都構想の中には、大阪市だけでなく隣接した10の市もひっくるめて特別区を設置するというふうなものもありました。グレーター都構想などと呼ばれたものであります。大阪市の区域内だけみても、五つの特別区を設置するのではなく、24の区それぞれ24通り、色とりどりの区政を発展させる、なんてスローガンが強調された時期もありました。すなわち、24の特別区を設ける都構想も可能なのです。堺市長選挙で問題になっているように、堺市もひっくるめて都構想を実現するということもあり得るわけで、さまざまな都構想があり、それぞれメリット、デメリットが考えられるところであります。都構想を実現しようとする勢力の側で、手を変え品を変え様々な案が出されて来るかと思いますが、その時に混乱の生じないように、どういうメリットがあり、逆に、案が変わってきたことによってどういうデメリットが生じてくるのか見据えて議論していく必要があると思います。
 大阪で提案された大阪府と特別区の関係も、お手本になった東京都と特別区の関係とは違ったものであります。都と特別区の権限配分をどうするかも様々なパターンが考えられるわけで、「もっと素晴らしいものができる」という宣伝がなされるかもしれません。そこでもメリット、デメリット双方考えられるでしょうから、注意が必要です。
 次に総合区ですが、「大都市制度(特別区設置)協議会」(法定協議会)の第2回が8月29日に開催されました。2回目の会合で「総合区素案」が提示されました。特別区の導入案と総合区の導入案とワンセットで「副首都大阪の確立に向けた取り組み」「副首都大阪にふさわしい大都市制度改革」という位置づけで出されてきております。副首都、これは日本全国の中での副首都ですから、これは国政の問題だろうと私自身としては考えております。そのために大阪をどうするかは本来なら国政のレベルで考えることだろうと思いますけれども、「副首都」という言い方をして気分を盛り上げるというのが維新の会の考えるところなんだろうと思います。東京の話を出すと何となくライバル意識をかきたてられるようなところが大阪の府民市民にあるということなんでしょうか。大阪を歌った歌の中には必ず東京が出て来るという指摘もあります。そういうふうなたぐいなんだろうと思いますが、本来は大都市制度の中で副首都の問題を論じる必要はないはずです。
 副首都の問題は別として、都市機能の充実とそれを支える制度が必要だということなんですが、そこで挙げられるのが一つは「広域的な機能」、もう一つは「基礎自治機能」ということであります。広域機能では「強い大阪、関西を実現する機能」、基礎自治機能では「成長の果実をもとにした豊かな住民生活を実現する」ということで、それを実現するのに特別区制や総合区の制度が必要なんだということなんですね。ただそういうふうに、広域機能、基礎自治機能という分け方をすると、特別区の制度導入を推進する場合は広域機能を大阪府(大阪都)に担わせて、基礎自治機能を特別区に担わせるということで役割分担が鮮明になるんですが、総合区になりますと、この二つの機能をどう分担するかが極めてあいまいになってまいります。結局のところは、副首都大阪なり大都市機能という分け方から出て来る場合には、どうしても総合区という提案は副次的、「おまけ」としての意味合いしか出て来ないと言わざるを得ません。やはり維新の会としては、あくまでも特別区を目指したもの、その中で総合区が次善の案として出て来ているに過ぎない。あるいは、総合区をやったとしても「うまく行かない」ということで、いずれまた特別区、大阪都構想が出て来るのではないかという可能性を示唆するものです。
 総合区ですが、推計人口、将来だいたい30万人程度の八つの区に分けるというものです。総合区に担わせる仕事として具体的に出て来るのは、保育所、老人福祉センター、生活道路の維持管理、放置自転車対策、スポーツセンターやプール、そして地域の実情に合わせた街づくりの検討、そういった事柄です。更に24区役所の窓口業務は地域自治区を設けて、そこで実施すると述べられています。総合区で行う実務的なことはそういうことで、その範囲で「自治」が地元に下ろされるということです。いったいそれでどれだけのことが現実にできるかということです。特に地域自治区ということになると、もっと幅が狭くなります。八つの総合区の中に従来の区を前提とした24の地域自治区が設けられるということですが、地域自治区とは本来は市町村の内部に設けられる独立の法人格を持たない区です。政令指定都市だけではなくもっと小さい規模の市町村でも設置できるものです。特に市町村合併で市が大きくなることに対応して、地域の自治を充実させるための組織として、こういう地域自治区という制度が導入されました。具体的に何をするかと言うと、地域自治区の事務所が作られるということ以外は、地域自治協議会が設けられまして、そこで区内住民の民意を見えるようにするという意味があります。地域協議会は地域住民の中から市長がしかるべき人物を選任して、地域住民の意向が反映されるようにしようということです。そこで、どういう人が選ばれるのかは市長次第ですから、有力者が選ばれるのか、準公選制度のようなものが導入されて選ばれるのかは地域での工夫次第なんですけれども、区内住民の民意が可視化されるということです。
 (大阪府市副首都推進局作成の総合区素案では)この地域自治区、従来の区役所単位で設けられるということですが、住民に最も身近な地域自治区の単位でどういう事務が行われるかと言いますと、住民票や戸籍、児童手当や国民健康保険、生活保護の実施に関する事務。ただこれだけだったら地域協議会で議論する中身は何もないですよね。それ以外に何があるかというと、地域安全防犯対策、地域振興地域活動支援が上がっているだけです。これは住民の意向を反映させてということですが、それだけだったらやっぱり随分しょぼい話と言わざるを得ません。
 これより大きい単位で総合区ができるのですが、大阪市内で8区ですから随分大きい単位です。住民にとっては必ずしも身近な役所とはならないだろうと思います。市議会とは違ってここでも民意を可視化するための組織、機関「総合区政会議」が設けられることになっております。総合区政会議は条例に基づく組織ということで、地方自治法に定められた地域自治区の親玉とは違っていて、住民の代表を集めるのではなく、住民以外の学識経験者なども集めた会議とすることが想定されています。地方自治法に基づく区の地域協議会を総合区にも置くことができるのですが、それとは違った総合区政会議を置く予定になっております。そこでは先ほど触れた保育所の問題、生活道路の維持管理、スポーツセンターやプール、地域の実情に合わせた街づくりの検討、こういったことも出て来るのですが、地域の実情に合わせた街づくりの検討となると、極めて漠然としています。結局、できることと言うと、裁量の余地のない地域の施設管理や、福祉の施策にかかわることがほとんどであって、それについてもお金がないとできないことがほとんどです。本当に裁量の余地を働かせるだけの十分なお金が割り当てられるのかどうか、現在のところでは保障がないというのが実情だと思います。
 (区を合体する)合区の話は本来は特別区、総合区いずれも制度設計とは無関係です。24区そのままで特別区を導入することも、総合区を導入することも可能です。だけどそれをやらないのは、権限、事務を区役所の単位に下ろしていくことになると、おのずとたくさんの職員を設けなくてはならないということになってくるからです。それを減らそうと思うと、合区という話になるんです。そういう必要がどこまであるのか、それなしに、どこまで権限を下ろすことに意味があるのか、見比べて考えていかなければならない。合理的なバランスを取ることが、いったい現状との関係でどれだけ意味があることなのか、冷静に考えていく必要があります。合区をすることになると、それで損なわれるコミュニティが当然出てくることになります。地域自治区は本来、コミュニティを残すための一つの仕組みであったはずですが、現在(大阪で)考えられている地域自治区ですと、現状の24区のコミュティを維持するにはおよそ心もとないと言わざるを得ません。
 総合区の制度自体は有意義な制度だろうと思いますが、できる限りもっと細かい単位で、できれば24区そのまま残した形で総合区を導入していく方向を考えていくべきではないか。大阪市内でいっぺんに総合区の導入をやる必要はなく、導入しやすい所から部分的に試行と言う形ででも総合区導入を試みていくのが望ましいのではないかと思います。

■森裕之・立命館大学教授(地方財政学)
<住民自治の発展>

 今、「大都市制度(特別区設置)協議会」(法定協議会)では、特別区と総合区と両方やると言っているので、両方の案が出て来るのですが、特別区の方は10月に案が出てきます。しかも四つの案が出てくるんです。もう無茶苦茶ですわ。特別区何個にするか、(行政区の)どことどこをくっつけるか、組み合わせの違う案が四つ出てきます。
 総合区は今、一つの案が出ています。8月29日の第2回の法定協議会で、大阪府市の共同部署「副首都推進局」から「総合区素案」が示されました。大阪市内の八つの総合区に分ける内容です。今日はこの総合区素案の内容を見た感想を述べます。
 この総合区素案では、本庁から総合区にさまざまな事務を移管するということですが、その事務を移管されて意味があるかどうかを見ていきます。例えば「老人福祉センターの運営」って総合区に移管して何か発展しますか? 「生活保護の就労支援」。これ、総合区に移管したら発展しますかね? 「街づくり」の項目ですが、内容は道路公園の維持管理、放置自転車対策。これで街づくりが発展するのかなと思います。「スポーツセンター、屋内プールの運営」。こんなのどこがやっても同じだと思いますけど。放置自転車対策は総合区に移管したら「撤去の回数の見直しなどより迅速かつ細かい対応が可能」って、素晴らしいですね(笑)。保育所の運営も総合区に移管されることになっていますが、大阪市の保育の大枠については本庁が決めているわけです。その枠の中での話なので(総合区の裁量で)保育所を増やそうなんて現実にはできないと思います。
 住民にとって暮らしが良くなったとか活気づいてきて初めて事務が移管の意味があると思うんです。事務が移管されることで住民の意志がどれだけ施策に反映されるのでしょうか? 権限が委譲されるというのは裁量が生まれるということが大事なんです。例えば生活保護のお金の給付を本庁でやっていたのが区役所に降りてきたとして、何の裁量も生まれませんよ。そういう移管は住民の暮らしにとって意味がない。意味があるのは自分たちがそれを生かして自分たちの思う街づくりできること、そうなって初めて意味がある。そう考えると、(総合区素案で示されている)先ほどの事務の移管ってどれだけ意味があるのかということです。
 マスコミでは「今82億円の区役所の予算が、(総合区になれば)226億円になる」と報道されるわけですよ。すごいことが起こるような気になりますが、実際には「裁量」のあるものがほとんどないと思うんです。マスコミもこういうのをちゃんと調べて報道してほしいと思います。単に金額が増えるだけですごいことが起こるんだ、みたいなのはまさに印象操作です。プールの運営を移管するだけですごいことができるというなら、それを示してほしいと思います。
 総合区長の権限ですが、特別職ですからすごい権限が強くなるんです。特別職って副市長ぐらい身分です。局の上にいます。任免権、懲戒処分、分限処分も総合区長の判断です。想像すると怖くなりませんか? 公募区長で(問題が)いっぱいあったじゃないですか。暴言だとかセクハラだとかパワハラとか会議に来ないとか。そういう人たちが総合区のトップになるんですよ。総合区役所もちますかね? 職員の人はどんな思いをするか、総合区役所ともども大阪市役所全体が崩壊すると思いますよ。
 職員の数と予算の変化ですが、職員の数は1万6400人から総数を増やさない。総合区に事務を移譲しても、総合区役所の職員の数を増やさないから「合区する」という論理になるんです。予算ですが、お金が移るだけでは全く意味がない。裁量がないと暮らしは何も変わりません。事務の中身を見ますが、工営所、公園事務所、保育所など。工営所とは下水道や道路の管理するところです。その管理をしている職員が(本庁から総合区に)移管されてどれだけ意味があるんでしょうか? 公園事務所も移管されますが、そうなると住民が公園でいろんなことができて(地域が)わーっと盛り上がるならいいかもしれませんが、だとしても現状でもできるじゃないかと思います。保育所の運営も移管されますが、保育所の数を増やすのは(総合区の裁量では)できませんから、どれだけ(住民生活に)効果があるのかは考えないといけません。
 総合区につけられる予算ってほとんど義務的な予算なんですよ。本庁がやろうが区役所がやろうが、どっちにしたって住民にとってはやらないといけないものなんです。定型的に近いものです。どれだけ(総合区が)自己決定できるのかが問われないといけない。またどれだけ住民サービスが向上するのか? 放置自転車の撤去に今まで2時間ぐらいかかっていたのか1時間になるとか、そういう効果はあるのかもしれませんが、それとの見合いで今の24行政区を無くしていいんですかということが問われないといけないです。 
 今、24行政区では区政会議をやっていますが、(総合区素案で)各区に地域協議会を置くのはこの区政会議があるからです。さすがに区政会議をつぶすわけにいかない。つぶしたら(市民は)怒りますよ。だから地域協議会という名前に変えて残しますということです。ややこしいのは、総合区全体にも区政会議を作るんです。地域協議会で話し合って、また総合区の区政会議で話し合うと。複雑怪奇な構成で、いったい自分がどこにいるのか分からなくなりますよ。合区しても今の区政会議に配慮が働くので、複雑怪奇な行政制度になるわけです。住民が混乱しますよ。
 コストですが、庁舎の整備などでイニシャルコストに65億円かかります。それに伴って毎年1億円ぐらいかかると見込まれているわけです。これが大きいか少ないかは判断いろいろあるでしょうが、これだけお金かけて今の24行政区をつぶして複雑怪奇な制度を作って、意味があるのかなと思います。
 住民を混乱させずコストをかけずに区の裁量を拡大する方策を考えるなら、今の24行政区の権限を強めればいいだけです。混乱ははるかに少なくて済みます。合区という前提を外して大阪市のあり方を考えなければいけません。特別区は論外として、総合区になっても大阪市の住民の大混乱は避けられないです。

■山中智子・共産党大阪市議
特別区と総合区の二つを検討したうえで、住民投票など今後の手続きはどうなるのか

 住民投票がどうなっていくかは(維新側は)コロコロと言うことが変わっていますので、言うことにいちいち過剰反応しても疲れるだけなんです。思い出していただきたいのは、最初の頃、吉村市長はまず(特別区か総合区か)どっちかを選ぶ住民投票をしてもらうって言ってました。今もそう思っている人はたくさんおられるんですが、でももうそれはとても無理だということが分かって、この間、(吉村市長は)「特別区の住民投票で否決されても、8区の総合区に行く担保がいる。だから先に(総合区を実施する)議決をしておく」と何度も言っていたんです。でも一旦、議会で総合区にすると議決しながら、相反する特別区の住民投票をこれも議決するなんてそれはできないって声がすごくあって、あの松井知事もさすがに「それはできない」と言ったわけです。それで数か月かかって編み出してきたのが、先日、8月29日の法定協議会の後に知事が言い出して市長が追従しているんですけどね、吉村市長はすべて知事の言いなりなんですが、知事が言い出したのは「二段階方式だ」と。地下鉄民営化でもまず基本方針、手続きだけ通しておいて、そこからがちゃがちゃやって最終的に計画を出してそれが可決されましたけど、まず事前に手続きだけ決めておくと。例えば「住民投票で否決されたら総合区になろうね」というとこまでだけはとりあえず議決をして、決議と言ったり議決と言ったりしていますが、その基本方針だけは決めて、住民投票をやって否決されたらいよいよ具体的に総合区に移るんだということです。「担保」が吉村市長が言っていたのより、少し薄い担保になったけれども、やはり彼らが描いているのは、ベストは特別区、最悪でも総合区という線でずっと動いているのは変わりません。ただ、手法、スケジュールについてはコロコロコロコロ変わりますので、あまりそこにとらわれずに、どんなに市民不在かということ、本質のところで広げていただければと思います。